首相の退陣表明に「予告」などありえない

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菅首相「あいまいな退陣表明」に秘められた意図|田中秀征 政権ウォッチ|ダイヤモンド・オンライン

首相の代議士会での話は退屈そのものであった。随所に特有の“あざとさ”があって憤りも覚えた。
 
首相が、テレビを通じて、世論に「助けてくれ」と叫んでいるように見えたが、一般の人たちは逆にそういう態度に不信感をつのらせるのである。
 
首相は、たとえ不信任案が可決されても解散ができなかった。否決されても政権基盤が急速に弱まる。それで“渡りに舟”に乗り込んだのだろう。
 
 「衆議院を解散」、「造反者を除名」とこぶしを振り上げても、その効果がないと知るや土下座する道に変わった。そして土下座の効果が出たら、また以前の姿に戻る。その繰り返しではないか。
 
そもそも首相の退陣表明は、直ちに退陣するときに限られる。「退陣の予告」などありえないのだ。
 
首相は、今後チャンスをつくって大きな得点をし、退陣表明をうやむやにするつもりだろう。しかし、そんな気負いや功名心が大きな過ちを招いてきたのだ。あいまいな退陣表明に秘められた意図をほとんどの人が見抜いていることを忘れてはならない。

引き際というのは政治家の最後の矜持であって、過去のどんな悪徳政治家と言われた人でも、そこだけは潔くしたいと行動してきたと思います。

でも今回の菅直人の言動は、その最後の一線さえないがしろにしたわけです。 不信任案提出前の党首討論で野党から人格攻撃されていましたが、何も聞いてはいなかったのでしょう。
歴史センスがない」というのは、こういうところからも感じられるところです。 政治史を勉強したことはないのでしょうね。

討論×闘論 » 記事アーカイブ » 「信なくば立たず」を考える | ブログ | Reuters.co.jp

最高権力者が自らの進退に言及した場合、それがどのような表現であれ、その時からそれまでの権力行使とその後の権力行使に差が出るのは、洋の東西を問わず共通だ。再選された大統領の任期満了の1年前ぐらいから政権のレームダック化が進む米国での現実も、そうした権力構造の変質の1つの例と言えるだろう。
 
2日の代議士会での菅首相の発言で、菅首相の権力に陰りが出たのは間違いなく、これを止めることは誰にもできないだろう。(中略)
 
政治家に最も求められるのは、言葉を大切にすることだと私は思う。公約の実現ができなくなることが日常化している最近の日本の政界においても「辞任する」という意思表示に関しては、表現があいまいで周囲が誤解するということはほとんどなかった。出処進退で言葉を翻す人は信用されず、政治力を行使することが最終的にできなくなるという暗黙の了解があったからだと思う。
 
日本政府の最高権力者である首相が辞任を表明しながら、その後、半年以上も政権を担当する意欲を表明するということは、戦後の政治史の中ではなかった。(中略)
 
法案審議がストップした過去のケースでは、サボタージュを主導する野党に対し、世論の目が厳しくなり、世論の動向に配慮して野党が矛を収めるというケースが多かった。
 
しかし、今回は期限付きとは言いながら、辞任を表明した首相が長期間の政権運営に意欲を示すという前代未聞の展開である。不信任案否決後の参院での首相問責決議案の可決による法案審議のストップは、憲政の常道に反するとの意見が憲法学者から出てくると予想される。
 
だが、代議士会での期限付き辞任の表明を方便のように使ったと受け止められても仕方のない菅首相の対応に、多くの国民が首をかしげているのではないかと思う。国政が混乱し、市場にも悪影響が出てきたときに、菅首相への辞任圧力が高まるのか、それとも菅首相辞任を求める人たちに批判が向かうのかは、最終的には世論が決めることになるだろう。

ここまでコケにされたら、野党も参院で腰が引けた戦いをする訳にはいかないでしょう。 首相問責決議案の可決後は、参院での法案審議は完全にストップすると思います。