2012年 5月 2日(水)
06:30に目覚めると、まだ雨が降っていました。 雨の中の撤収作業は憂鬱ですね。
もし設営時に雨が降っていたら、この東屋の中に建てていたと思います。 ちゃんと予報を確認していなかったミスですね。
トイレ(ポットンですが)は紙もちゃんとありますし、洗面所の水も出ました。 ちゃんと清掃されています。
本来のキャンプ場はこのトイレの横を下った裏手にあるようです。
東屋からダム湖を背にして芝生広場を見たところ。 右手奥がアプローチ道になります。
雨が降っていたのでダムまでは行きませんでしたが、東屋からでも木々の間から湖面は見えました。
東屋のおかげで雨水を拭ったりするのに、ずいぶん助かりました。
ラジオを聴きながら、ちょっとのんびり撤収作業を行なったので、出発が遅くなってしまいました。 09:41に出発です。
R379からR33に入り松山へ。 10:08 松山ICを過ぎたところにセルフがあったので給油します。
再度松山道をくぐり、県道193号を東へ。 途中にセルフがあったので、こっちで入れればよかったですね。
途中でR11に入り、雨の中を淡々と走ります。 四国中央あたりのように渋滞はしないのですが、トラックなど交通量は多いです。
11:21 R194との分岐点となる加茂川橋を渡ります。
新居浜では2つやらなければならないことがありました。
一つは青函連絡船「羊蹄丸」の最後の一般公開を見学すること。 もう一つは、別子銅山の東平(とうなる)地区を見学に行くことです。
先に羊蹄丸の方を見に行くことにします。
11:59 新居浜東港黒島埠頭に着きました。
青函連絡船を見るのは初めてです。 みやざきエキスプレスとどちらが大きいのかな?
羊蹄丸はフローティングパビリオンとして改造されてしまっているので、青函航路で活躍していた当時とは内装がかなり変わっています。
パネル展示がありました。 観て行きましょう。
太平洋戦争で撃沈されて全滅。 352人もの方々が亡くなったそうです。
そのような悲しい歴史と、本州の北の果て津軽海峡で活躍する船ということで、どうしても哀愁が漂います。
現役当時の活躍する勇姿も、多くの写真で見ることができます。 一度乗ってみたかったなぁ。
青函連絡船といえば、鉄道車両をそのまま積み込むというのが大きな特徴です。
フェリーに列車を積み込むということは、フェリーと岸壁をレールでつなぐということです。
ロープで係留したとしてもフェリーは揺れますので、可動橋で接続することになります。
青函連絡船では、着岸から出港までの55分間の間で、客の乗降、貨車の入れ替えなど全ての作業を行なっていたそうです。
鉄道連絡船といえば、宇高連絡船も忘れてはなりません。 ちゃっかり写真が展示してありました。
ずんぐりした形で可愛らしいですね。 ちなみに初期の宇高航路では、関門連絡船から転籍した船が使われていたそうです。
自分が生まれるはるか昔の話ですが、ぜんぜん知りませんでした。
さらにいえば関門航路は「車両航送発祥の地」なのだそうで、シーモール下関の壁面にモニュメントがあるらしいです。 そんなのあったっけな? 今度帰省したら見ておきます。
高松港の桟橋の写真です。 今は面影はないんでしょうね。
さて、艦内を見学していきましょう。
まずはVIP室。 隣には船長室がありました。 ここからは船首を眺めることができます。 真鍮製の窓枠がかっこいいです。
向かいの埠頭には、新居浜-大阪航路の四国オレンジフェリーが停泊していました。
ブリッジへ行くために、デッキに出ます。 雨風ともに強いです。
結構広いですね。
鉄道車両を固定するフックを紹介するパネルがありました。
操舵手からの眺め。
「全速航行中は35°を越えて舵を切らないこと」と書いてありました。
続いて青函ワールドに行ってみます。
昭和30年代の青森駅前朝市の風景をジオラマで再現したものだということです。
写真では明るいですが、実際はもっと薄暗いです。
見学者に反応して、人形がしゃべったり効果音が流れたりします。
すっごいリアルですね。 よく出来ています。
青森駅舎も再現されています。 見学者が交じると、一瞬区別がつかなくなります。
ディーゼル機関車やブルートレインが展示されているのですが、現役当時と同じように固定されています。
パビリオンに改造前の羊蹄丸です。車両甲板に鉄道車両が載るわけですね。 入り口は3本のレールで、真ん中が別れて合計4本になります。
ワム車換算で合計48両の積載が可能だったということです。
改造後です。 ディーゼル機関車とブルートレインが置いてあるところは、元のレールがあったところのようです。
懐かしの青函連絡船グッズも展示されていました。 公開終了後は解体されてしまう羊蹄丸ですが、こういう展示物はどうなってしまうんでしょうね?
駐車場を目一杯後ろに下がっても、ちょっと後ろが切れてしまいました。 全長は132m、総トン数8,311.48tonだそうです。
ちなみに、みやざきエキスプレスは、全長170m、総トン数11,931tonということで、こちらの方が大きいです。 短い距離を定時運行するのにあまり大きすぎると大変ですし、逆に長距離フェリーは大きい方が安定して良いのでしょう。
なにより真ん中に煙突があるという形がいいですね。 最近の船ではこういうのはもう見かけません。 ファンネルマークの「JNR」の文字もかっこいいです。
船体後部です。 ここがパカっと開いて、3本のレールから鉄道車両を出し入れしていたのですね。
羊蹄丸が解体されてしまうと、国内に残る青函連絡船としては青森市にある八甲田丸(メモリアルシップ八甲田丸)と函館市の摩周丸だけとなります。
ぜひ見に行ってみたいですね。
別子銅山編へ続く