大洗・那須・足尾ツーリング(最終日)

2001年 7月 28日(土)

ちゃんと目覚まし時計をセットしたのだが、目が覚めたら09:45。 前日が四時寝では当然か。 慌てて着替えて、荷物の整理をしてチェックアウト。 素泊まりで良かったなぁ(笑)。

セブンイレブンでおにぎりとカップラーメンを買い込み、駐車場で朝食。 あっ、ちゃんとサラダも食べましたよ。

FH010006a.jpg

朝、出発前にHのバイクに乗せてもらった。 予想はしていたが、正直言って「よくこれで高速走ってるな」と思うほど、古典的な乗り味であった。 何よりハンドルに伝わる振動がすごい。 60km/h以上ではミラーが見えない。 ラバーマウントされてるハズなのだが、機能してないようだ。

ちなみに、FRフォーク/ブレーキはGB250用で、FRフェンダーはGB400用。 RRサスはCM400用に交換してある。

FH010008a.jpg

起きたら朝風呂をと思っていたのに、寝坊で入れなかった我々だが、悲観する必要はなかった。 なぜなら今日は殺生石の近くにある「鹿の湯」に行く予定だったのだから。

FH010007a.jpg

鹿の湯は、前回に嫁と来たので再訪となる。 昔の湯治場の面影を残す共同浴場だ(大人\400)。 泉質はイオウ泉で、草津ほどではないが、かなりキク。

FH010009a.jpg

無補剛桁(むほごうけた)歩道吊橋(なんじゃそりゃ)としては日本一という、もみじ谷大吊橋の売店でトマトを食らうH。 ここの黒ゴマソフトは濃厚でとても美味しい。

FH010011a.jpg

日塩もみじラインは、地図で見る限りとても面白そうだったので、とても期待していた道だった。 しかし、どうみても単なる田舎道で、整備状況も有料道路とは思えないレベル。 おまけに前を遅い車に塞がれてしまったので、全然楽しめなかった。 会津西街道(R121/R352)を走った方が良かったな。

FH010012a.jpg

今市で嫁に頼まれた”たまり漬”と日光ゆばを購入し、日光杉並木の中、R119を西進する。 それにしても、すごい杉の木である。

FH010015a.jpg

日光に来たのは初めてだったが、イメージしていたのと全然違って、欧風高原リゾートの雰囲気もある。 外国人観光客が多いのは知っていたけれど、もっと古風な感じかと思っていた。 今回は通過しただけなので、次はゆっくり見て廻りたい。

日光を過ぎてしばらく走っていると、妙にシールドが見づらい。 おかしいなと思ったら、非常に細かい霧雨がシールドからの視界をにじませているのだった。 幸い、ほどなく入った日足トンネルを通る間にシールドは乾き、霧雨も追ってはこなかった。

FH010018a.jpg

わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄足尾線)の間藤(まとう)駅に着く。 現在はここが終点である。 無人駅だが、集会所兼用になっているらしい。

FH010019a.jpg

今回の那須行きのもう一つの目的が、旧国鉄足尾線の遺構を見ることであった。 Hは『別冊鉄道ピクトリアル』を愛読してるような奴で、廃線跡を巡るのが好きなのだ。

足尾線に興味を持たれた方は、Googleなどで”足尾線”と検索してみるとよいだろう。 結構な数のHPがヒットする。

FH010016a.jpg

感慨深げにホームを歩くH。 このレールの先は桐生まで続いている。

FH010017a.jpg

この先の足尾本山駅(貨物駅)までは、休止区間となっており、現在は使われていない。 夏草に覆われてはいるが、レールはまだ残っている。

”廃止”ではなく”休止”になっているのは、廃止にすると施設の撤去などでお金が掛かるためらしい。

FH010023a.jpg

駅に観光案内の看板があった。

FH010025a.jpg

足尾本山方向に移動するためにバイクのエンジンをかけようとしているところへ、列車がホームに入ってきた。 2両編成のディーゼル車である。 数人の乗客が降りてきたが、地元の人たちだろうか?

FH020002a.jpg

間藤駅から少し行ったところに、踏切があった。 もう使われていないのだが、なんの説明もないので一時停止してしまう。 もっとも、地元の車はバンバン通過していくが。

踏切の手前(間藤駅側)の切り通しは、一部落石でレールが埋まっていた。

FH020003a.jpg

踏切からすぐに線路は、渡良瀬川を渡る鉄橋となる。

FH020005a.jpg

なんの柵もないので渡ろうと思えば渡れるが、結構な高さがあるので非常にコワイ。

FH020007a.jpg

鉄橋近くに、水力発電所の跡が残されていた。 左の管が山の上まで伸びていて、河原にあったタービンを回していたということだ。

FH020012a.jpg

今も残る銅山の社宅。 まだ現役である。

この後、腕木式信号機などを見つつ、精錬所(立入禁止)まで行ったのだが、カメラの電池切れで撮影できなかった。 無念。

通洞にある銅山観光にも行ってみたが、時間が遅かったのか閉まっていた。

既に17:00をまわっていたのだが、庚申川沿いの道を溯り、小滝の里跡にも行ってみた。 往時には一万人もの人々が暮らしていたということだが、今は木立の中に石垣が残るのみである。


銅山を後にしてR122を南下した我々は、神戸(こうど)で草木湖建設以前の線路跡を見物した。 一部線路跡が遊歩道になっており、トンネルの中も歩くことができる。

日が沈んで暗くなってきたので、帰路を急ぐことにする。 大間々町の市街地を過ぎたところで、Hのバイクがガス欠になるハプニングがあったが、すぐ近くにスタンドがあったので事なきを得た。 伊勢崎まで出て北関東自動車道に乗り、関越道を一気に突っ走って帰宅した。 Hもその晩は我が家に泊まり、次の日に自宅へと帰っていった。

ソロ・ツーリングも気ままで良いけれど、同行者がいれば一人では味わえない楽しみに出会うことが出来る。 改めてそう感じたツーリングだった。


本日の走行距離 240.5km
Google Earth用KMZファイル → 20010729.kmz