フォーマット戦争への道

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本田雅一のAV Trends 次世代光ディスクフォーマット戦争の軌跡 【前編】なぜ2つの規格が生まれたのか

こうして2001年2月19日にBDAの前身である、BDF(Blu-ray Disc Founders)が誕生した。このとき、東芝は前日夜中まで続いた説得に応じず、BDFへの参加を見送った。理由はDVD Forumで議論すべき事柄だからと、後に東芝上席常務待遇 DM社主席技監の山田尚志氏は話している。
 
ただ、実際には当時、DVD Forumで青紫LDを用いた光ディスクについて、議論することはできなかった。なぜなら、当時は実験用に用いる青紫LDを入手するために、日亜化学とNDA(守秘義務契約)を結ぶ必要があったからだ。このため、オープンな会議の場であるDVD Forumとしては扱うことが難しかった。
 
(中 略)
 
その後HD DVDとなるAOD(Advanced Optical Disc)が登場したのは、BDF発足後にDVD Forumにおいて青紫LDの技術検討を行なう作業部会を0.1mm保護層、0.6mm保護層それぞれに設け、その中から0.6mm保護層案としてNECが開発していた技術を元に提案が行なわれてからだ。
 
その頃はDVD Forum内でも、青紫LDを用いた光ディスク技術の扱いについて決めていなかったため、NECと東芝がAODとして展示会などでのプロモーションを行なっていた。なお、NECはBlu-ray発足直前にソニーと提携を組んでこの事業に取り組もうとしたが、特許などの問題もあってソニーに提携を断られ、その後、東芝とAODとして発表したと、NECの関係者は話していた。

んで、その後NECは、光ドライブ事業をソニーと統合させて、HD DVDから足抜けしたと。

次世代DVDについて総括の記事を書けるのは、本田雅一氏だけでしょうね。
他にも興味深い内容がいくつか。

2003年にDM社・社長に就任した藤井美英氏は、法務畑の経歴を持ち、東芝セミコン社からの異動でDM社に来た人物である。交渉ごと、企業提携などで実績を挙げ、本人も「話をまとめるのが得意」と話していた。藤井氏は東芝本社から、規格統一へと導いて東芝の利益を確保せよとの命が下っていたと言われている。(中略)
 
藤井氏は統一にかなり熱心だったこと。ソニーと松下は、フォーマット戦争による混乱を避けたいという意志が固まっており、可能な限り東芝に歩み寄る姿勢を見せていたことなどもあり、交渉はすぐに終わると考えられていた。ところが、実際には予想以上に長引いてしまった。
 
長引いた原因はいくつかあるが、主に以下の点で意見がまとまらなかったからだ。
 
 ・東芝の技術がもっと多く入ると思っていたが、さほど多くはなかった
(藤井氏談。標準規格は優秀な技術を採用しなければ独禁法違反となるため、無理に特定企業の技術を入れることはできない)
 ・BD側の提示した技術データを評価する東芝技術者が、0.1mm保護層のディスクを量産不可能と強く主張した
 ・統一に意欲を見せる藤井氏と、0.1mm保護層技術に否定的意見しか述べない東芝技術者代表の意見の方向があまりに異なるため、ソニー・松下側が東芝側の意図を図りかねて混乱した 。

この「東芝技術者」というのは、山田尚志 DM社主席技監(東芝上席常務待遇)のことなんでしょうか。 同氏については個人的に、「東芝の石原莞爾」みたいな人だなぁと勝手に思っております。
通産官僚ソースの日経のリーク記事については有名な話ですね。

また中国を押さえることができれば、その市場規模を活かしてCH-DVDの近似規格であるHD DVDプレーヤーのコストも抑えることができ、対BDプレーヤーで価格の優位性をアピールできる。
 
ただ、この戦略は後に東芝自身がプレーヤー価格を下げすぎてしまい、中国メーカーであっても利益が出せない価格帯まで下がったことで暗礁に乗り上げてしまった。フォーマット戦争の煽りがあって価格が下がりすぎているが、HD DVDプレーヤーは99ドルや199ドルといった価格で販売できる製品ではない。東芝自身が値段を下げてしまったことで、中国メーカーの入る余地は完全になくなってしまった。

これは本当にお笑いだよね。 焦土作戦とか自爆テロと言われたけど、大した効果もなく単なる自殺行為にしかならなかったという。

後編が楽しみです。