個人の業績は測れない

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あなたが平均以上の成績だったのは半分の平均以下の人々のお陰である:日経ビジネスオンライン

個人の成績に基づいて給料を決めるという事は、従業員を競争させたら、皆一生懸命働き、組織としての生産性は向上するはずであるという前提に基づいている。
 
しかしながら、80年代に国家的破綻に直面していた米国を再生させ、国際競争力を世界一に押し上げたデミンググループは、80年代の終わりに既に個人の業績は測れないという結論を出した。
 
デミング博士はじめ、デミンググループの指導者の多くは統計学者である。つまり、測るという事を専門とした世界最高峰の人たちである。その人達が、成果の 80%は皆がかかわり合った結果であって、環境から独立した個々の人間の成果として判別できるのはごく一部であるという結論に達したのである。

成果主義が万能というのも、役に立たない有害なものだというのも、どちらも極論で現実には即さないと思います。

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これでは全員が高い勤労意欲を持って仕事をするにはムリがある。私が特に気が付いたのは、自分がもらった評価は自分が考えていた評価よりも低いという経験した人が、かなり多いという事である。特に平均以下の人たちはやる気を失う場合が多い。平均以下の人たち、つまり半分の人が勤労意欲を失って、企業はやって行けるだろうか。 (中略)
 
普通、評価は人々に序列をつけるという形をとる。序列制では、ただ一人だけがナンバーワンであり、真の勝利者は一人だけである。上位3位まで入賞で勝利者とみなされる場合は、他のすべての人が敗者となる。もっと一般的には、序列制では平均(半分)以下は、どうみても敗者となる。序列制のある、いかなる組織においても、全体の約半分の人々が敗者となる。

サラリーマン経験のない学者さんの言いそうなことですが、多くの企業では「あなたは全社員何千名のうち何番目の業績です」なんて通告しないものです。 勤務評定も本人にしか知らせないので、せいぜい同期とか同じ部門の人と比べて出世が早い遅いというレベルでしか比べられないんじゃないかな?

当然ですが業績が平均以下の人たちは、それが本人の能力によるものか環境によるものかを吟味する必要があるでしょう。 さらに能力があるのにやる気を失っているという場合もあります。
ただ、平均以下と言われたからといって、それで腐るような人はやっぱりダメなんじゃないかと思いますけどね。