富士通とトヨタに見る取締役会の機能不全

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富士通とトヨタに見る“日本的ガバナンス”の崩壊~なぜ取締役会は経営監督機能を果たせないのか | 辻広雅文 プリズム+one | ダイヤモンド・オンライン

昨日まで元気だった社長が突如、健康上の理由で辞任し、あるいは、世界の複数の地域で自社製品の品質問題が津波のように襲い掛かってくるという有事に際して、いかなる対処をすべきかを決めるのは誰か。
 
それは、取締役会である。(中略)
 
だが、日本を代表するグローバル企業である富士通とトヨタ自動車が、この基本をいまだ身に付けていないことが明白になってしまった。後述するように、取締役会が発揮すべき機能を発揮した形跡はない。この2社の事例を検証すると、日本の大企業の意思決定が依然として形式的全体一致方式に則っていて、そもそも客観性や第三者立場に立った監督機能などを経営側が欲していない、という古くて新しい現実をまざまざと思い知らされる。
 
日本の大企業の多くは、非常時、不祥事に際して似通った行動様式をとる。企業内で、いわば二つの綱引きが激しくなるのだ。一つは、内部官僚同士の綱引き、もう一つは、社長経験者を中心とするOB長老たちの綱引きだ(ある経営コンサルタントは、“OBガバナンス”と呼ぶ。経営に責任を負わない歪んだ権力の跋扈、という揶揄である)。現役・OBたちがさまざまに動き、一部結託し、権力闘争の裏返しとして緊急事態の対処策が打ち出されるのである。

結局、「日本企業というのはいつまでたっても変わらない特殊な組織」ってことですね。

しかし、トヨタにせよ富士通にせよ、いろいろな観点から分析できて面白いですね。

事の細かな経緯はここでは省く。骨子を言えば、富士通前社長の辞任は真実ではなく、解任であった。解任当日、現経営陣6人が前社長に対し密室で、反社会的勢力との付き合いがあることを理由に辞任を迫った。前社長はいったん受け入れた。その直後、現経営陣は取締役会を開き、密室での大まかなやり取りを説明し、取締役会は受け入れた。
 
その時、社外取締役が、解任であるのか辞任であるのか、辞任であればなぜ辞任届けがないのか、なぜ本人が理由を説明しないのか、調査委員会を発足すべきではないのか、いかに投資家に情報を開示するのか、といった当然なされるべき指摘、疑問を呈した形跡はない。取締役会後、現経営陣は「健康上の理由による辞任」と公式に発表した。そうして5ヵ月後の現在、前社長の「辞任取り消し要求」の報道がきっかっけとなった東京証券取引所の開示情報の確認に対し、全経営陣は「事実上の解任だった」と内容を変更した。
 
会社法・企業統治論を専門とし、資生堂の社外取締役を務めている上村達男・早稲田大学教授は、こう指摘する。
 
「前社長は取締役の一人として、株主総会で選任されている。その取締役がもし反社会的勢力と何らかの関係があり、適格性を欠いたとなれば、株主にとって重要情報以外の何ものでもない。丁寧に説明、開示すべきだったろう。富士通はその後の開示情報内容の変更に際し、発表資料で、情報開示が不適切とされた理由を“ご賢察下さい”としているが、投資家は何をもとに何を察すればいいというのだろうか」

「ご賢察」ってw 極めて日本的だね。 それで外国人に通用すると思っているのかね?

一方、トヨタ自動車は、そもそも社外取締役など一人もいない。2005年に会社法が導入され、5年後の今、上場企業を対象とした「公開会社法」へ議論が進む。一貫して重要なテーマの一つは、コーポレート・ガバナンスの強化である。具体的には社外取締役の義務付け、独立性の強化、さらには後述する「独立取締役」の導入などが俎上に上げられているのだが、慎重論が強い産業界になかでもとりわけトヨタは消極的だった。その根拠をありていに言えば、日本企業に欧米型の仕組みは馴染まないという判断、トヨタは独自の統治システムを持っているから何ら心配ないという自信だった。
 
だが、品質問題がさまざまな角度から追求され、社長自らも問題の把握と対処が遅れたと認めた今、独自の統治システムが有効だなどと主張はできまい。ちなみに、親会社が米国流のガバナンスを採用していないのだから、子会社の米国トヨタも同様である。これは、米国ではほとんど知られていない。というよりも、ある経営学者にいわせると、「社外取締役がいないなどとは想定もしていない」らしい。
 
米国の公聴会では、すべての意思決定が日本の名古屋本社で行なわれ、米国子会社に何の権限もなかったというガバナンス上の問題は繰り返し指摘されたが、これは社外取締役という第三者の不在による経営監督機能欠如という基本問題とセットで改善されるべきだろう。

かつては「三河モンロー主義」と言われたトヨタですから、考え方が内向きなのは今に始まったことではありません。
奥田体制以後は財界活動に積極的になりましたが、経営のグローバル化ということでは「日本的経営の良さ」をさかんに発言していましたからね。 その結果がこのていたらくなのですが。