若者をマヒさせる“仲間至上主義”

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えっ人間失格? 若者をマヒさせる“仲間至上主義”:日経ビジネスオンライン

A氏によれば、世間に蔓延するきずな社会へのこだわりなのか何なのか分からないが、ここ数年、やたらと“仲間”の大切さを面接でアピールする学生が多いという。(中略)
 
「多分、“僕は仲間を大切にする人間です”とか、“僕は貧しい人たちのために何かできる人間になりたいです”ってのが、自分の“ウリ”だって考える学生が多いんだろうね。僕たちが学生のころは、やたらと自己実現って言葉をウリにしてたから、時代のトレンド? ってことかね」
 
自己実現。確かに若い時によく使った言葉だ。
 
「自己実現をするために、こちらの会社を選びました!」
 
多くのバブル世代は、臆することなくそんなことを言っていた。
 
そして、「キミが自己実現するために会社はあるわけじゃないんだけどね」と面接官にクギを刺されたりしたものだ。
 
同様にA氏も、「僕は仲間の大切さを知っていますので、会社でも仲間を大切にしたいです」という若者に対して言いたかったわけだ。
 
「会社ってさ、みんなで仲良しこよしする場所じゃないんだけどね」と。

(クドイようですが)バブルの恩恵は受けてないものの、世代的にはバブルさんにあたりますが、確かに「自己実現」という言葉はよく使いました。 今じゃ死語なんですかね?

それはともかく、小さい頃から「おともだちでしょ、なかよくしなさい」と言われて、母親にスポイルされて育ってきているからしょうがないんだろうけどね。

仲間は決して均一ではない。
 
異なる能力、異なる価値観、異なる立場の人たちが、同じ目標の下、一緒に汗を流し、涙を流し、互いを認め合うことができた時、初めて“仲間”となり、集団が強くなる。均一でない集団だからこそ、一人では決して手に入れることのできない大きなものを手に入れることができる。
 
仲間で何かを成し遂げるとは、しんどくもあり、居心地の悪いことでもあり、時に自分の限界と向き合うことを必然的に強いられることでもある。
 
決して、仲良しこよしの集団ではない。互いを認め合い、切磋琢磨することができる相互承認の関係なくして、“仲間”は成立しないのだ。

こういうのは軍隊とかを考えると分かりやすいよね。
同じ部隊にもし「うつけ者」がいて敵に見つかったりすれば、部隊員全員の命が危うくなります。 だからお互いに力を認め合う者同士でなければ「仲間」にはなれません。

個人的な友達づきあいならともかく仕事仲間としては、環境に変化に多様性が強みを持つように、均質な集団より得意技が異なる個人の集合体の方が力を発揮できます。