あらかじめ予告されていた「タイ洪水」

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「タイ洪水をもたらした大雨は予測できていた」:日経ビジネスオンライン

すなわち、今年インドシナ半島に平年以上の大雨が降ることは、気候予測情報からわかっていた。もしタイ政府がそれを知り、雨季が訪れる以前にダムの水量を減らしておいたならば、今回のような大洪水は避けられた可能性が高い。要はそこがタイ政府のミスマネジメントだといえるのである。(中略)
 
そうした異常気象の予測について、さまざまな変動要因が複雑に絡み合う中緯度についてはまだまだ難しい部分が多いが、ダイポールモード現象の影響がダイレクトに出る熱帯・亜熱帯地域では予測しやすいといえる。実際、今回のダイポールモード現象も半年程度前から予測できていたわけで、この情報が現地にきちんと伝わっていれば、稲作など農業の対策には有効だし、今回のような洪水も防げたかもしれない。
 
「タイにはおそらくいまも、3カ月予報のような長期予報はないと思います。リスクマネジメントのため、私たちが出す気候情報に興味を持ってもらえればと思いますね」

気象予報の切り口でいえばそういうことなんでしょうが、それ以前の問題のようにも思います。

質問なるほドリ:晴れているのになんでタイは洪水なの?=回答・西尾英之 - 毎日jp(毎日新聞)

なるほドリ タイの洪水が大変だね。でも、テレビの映像を見ると水が押し寄せているバンコクは晴れてるよ。なぜ雨が降らないのに洪水が起きるの?
 
記者 よく見てますね。実は洪水が本格化した10月中旬以降、バンコクでは雨期が終わって乾期の晴天が続いています。洪水は降雨によるものではなく、5月から10月まで続く雨期に上流部で降った雨が国土を縦断するチャオプラヤ川水系に集まり、今になって最下流のバンコクに押し寄せているのです。
 
Q ずいぶんゆっくりだね。今年は雨が多かったの?
 
A 6月から9月までの降水量は上流部のチェンマイで平年の1・3倍の921ミリ。洪水はチャオプラヤ川流域だけでなくメコン川流域のタイ東北部やカンボジア、ベトナムなどインドシナ半島全域で起きていますが、半島のほとんどの地点で平年の最大1・8倍を記録しました。雨の多さが洪水の第一原因であることは間違いありません。
 
Q 川に水の流量を調整する治水ダムはないの?
 
A チャオプラヤ川には支流も含め三つの大規模ダムがあります。しかし、10月にダムが満水状態となり、大量放水を始めました。これが大洪水を引き起こすきっかけになったのです。だから、早期から計画的に放流していれば、これほどの洪水は防げたとの指摘もあります。ただダムの管理当局は「予想を上回る雨水が流入した」とし、想定外だったと強調しています。

もう8月の時点で、一部の地方では洪水が始まっていたといいます。

タイ大洪水 - Wikipedia

集中的な洪水のモニタリングと救援活動は8月半ばに始まった。8月初頭に任命されたタイ首相のインラック・シナワトラは、8月12日より洪水の被害のあった県を視察を開始し、担当大臣と国会議員も被災地を訪問、地方の行政機関に支援を約束した[9]。"The 24/7 Emergency Operation Center for Flood, Storm and Landslide"は、洪水への警戒や救援活動を調整するために、内務省の防災・災害対策部のもとに8月20日に設立された[10]。

大雨が確実になった7月以降、タイ政府は何をしていたのでしょうか?

木語:雨と洪水と王様=金子秀敏 - 毎日jp(毎日新聞)

なぜ洪水被害がこれほど拡大したのだろうか。この夏の降雨量が想定外だったことは確かだが、それだけでは解せない。タイ専門家にこんな見解がある--。
 
タイの雨期は毎年6月から10月。その間、北部農村地帯で河川の水位が上がると、王室灌漑(かんがい)局が水門を巧みに操作して、毛細血管のように広がる灌漑用水路に分流する。農村地帯を浸水させて下流の都市を守る伝統的な王の治水システムだ。
 
ところが90年代から地方自治、分権が進み、中央集権的な国家灌漑法が十分機能しなくなった。村長は地元利益優先に走り、雨期でも自分の村が冠水しないよう灌漑施設を整備した。タクシン元首相の時代である。北部農村は元首相の地盤になった。
 
さて今年7月、雨期に入ったが、国民の関心は政権交代選挙にあった。若い女性候補、インラック・タイ貢献党代表が農村票を集めて与党民主党を破った。軍事クーデターで首相の座を追われたタクシン元首相の妹である。
 
8月、雨は降り続けた。国民は、インラック首相に対して軍がまたクーデターを起こすかどうか、政局の行方を見つめていた。
 
9~10月、大型台風が続き、北部農村地帯では河川の水位がぐんぐん上がった。灌漑局が分流をしたが、各地の水門で地元が抵抗した。灌漑局の作業に妨害も起きた。
 
農村部を票田にするインラック首相は地方に対して強硬措置をとれなかった。そうこうしているうちに、水は北部から南部へ、首都へ向かった。工業団地が冠水した。バンコクに押し寄せてきた水をどういう方法で海に流すかをめぐって野党の知事と首相の対立が続いている。

政治が空転している間に、事態がどんどん悪化するという、まるで日本の生き写しですね。

タイの洪水被害が収束しない複雑な理由:日経ビジネスオンライン

もっとも、これまでタイの当局が何も手を打ってこなかったわけではない。チャオプラヤ川の治水に関しては、1980年代に日本のJICA(当時は国際協力事業団)の技術協力で、首都を洪水から守る計画が立てられた。具体的には、バンコクの外側を囲む外周堤「キングスダイク」を築き、その東側を計画的な浸水域「グリーンベルト」に指定して土地利用を規制するというものだった。
 
現在、バンコクの浸水が最悪の状態になっていないのは、このキングスダイクが、ある程度、機能しているからだと考えられる。ただ、キングスダイクには未完成の部分が残っている。(中略)
 
一連の治水計画には、やや不明な点もある。本来、グリーンベルトには放水路を建設する構想だったはずなのだが、実現しておらず、域内に工業団地ができてしまっている。この工業団地は、キングスダイクの効果によって東側に向いた洪水流の被害をもろに受けている。
 
さらに、その南側直下には、2006年に新たにスワンナプーム国際空港が建設されている。このような土地利用がなされた理由ははっきりせず、今後、検証していく必要がある。

これも私がタイへ出張に行っていた2006年当時から言われていたことです。


それより問題は、現地の日系企業に備えがまったく出来ていなかったということです。

地形分類図を調べ直して、その土地が形成されてきた歴史的経緯を知っておくことも大切だと思う。
 
今回、日本企業の工場が水没したアユタヤ下流部の工業団地は、過去のチャオプラヤ川の洪水によって自然堤防の外側にできた後背湿地に位置している。つまり、元来、水に浸かりやすい場所に工場が集積されていることになる。
 
もちろん、工場は大量の水を必要とするから、川の近くに立地する方がいいという事情は理解できる。しかし、水の恩恵を受ける場所は、水のリスクを抱えてもいる。そういう場所で経済活動を進めていくならば、なおさら水害のリスクをきちんと評価し、「見える化」しておかなければならない。

自動車工場は、大量の水は必要としないんですけどね。

洪水が来た場合のシュミレーションはしてなかったのかな? 工場が冠水してから、影響が出る部品を調べ始めるなんて、まったくもってありえないと思うんですが。

「想定外」とか「運が悪い」じゃなくて、立派な人災だと思いますね。