ケア・テーカーと呼ばれる日本人現地トップ

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そこまでヒドイの? ケア・テーカーと呼ばれている日本人支社長たち:日経ビジネスオンライン

彼によると日本人駐在員の過半は大なり小なりケア・テーカー、現地法人のトップはケア・テーカーの王様(King of Care Taker)で有る由。「フミオ、とにかく彼らと働くのは効率が悪い。指示は曖昧。優先順位は付いていない。後先考えない頻繁な指示の変更に説明はない。社内だけに留まればまだ良いが、外で取引先や得意先からも同様の問題を指摘されるのは、競争が激しい中では死活問題だよ」
 
余程言いたいことが溜まっていたのか、彼の毒舌は続く。
 
「彼らは、日本にある本社の事情は良く知っている、だがそれ以外の事には驚くほど無知だ。役割に応じたスキルは不足しておる、学ぶ意思も無い。ディナーの話題はタイガーウッズか日本人メジャーリーガーに関することくらい。自国の歴史や文化を正確かつ興味深く説明できず、政治や国際問題について語れないビジネスエクゼクティブなんて、日本以外の先進国では考えられないぞ。この間の話題は原発問題だったが、我々の方がディテールを含め良く理解していたのは、最早ブラックジョークの域だ」。

これは何も「文化の違い」といった類の話ではありません。 日本からの出張者にとっても、現地の「王様」には手を焼かされます。

これを説明するときに引き合いに出すのは、『地獄の黙示録』でマーロン・ブランド演じる「カーツ大佐」ですね。

社外の人からは、なんで「そんな人達が勝手なことをやれているの?」と思うことでしょうが、やはり温床があります。

グローバル化を進めていく企業にとって、ケア・テーカーを取り除くことは、現状改善及び将来に向けた投資、両方の側面で極めて重要である。悪貨が良貨を駆逐するがごとく、腐ったリンゴであるケア・テーカーは周囲のリンゴに、じわじわと悪影響を及ぼしている。とはいえ、ケア・テーカーは以下の面で、その実態が中々表面化しない。
 
・短期でローテーションするのが通例の日本人駐在員にとって、上司や周囲におけるケア・テーカーの実態を指摘することは、遠慮が有りためらわれる。また、本人のキャリアにとってもリスクが大きい。
・外国人社員にとっても、ケア・テーカーはきちんと管理をすれば、彼らの利害にかなうことが多い。
 本社から社長や役員が訪問した場合も、通常は日本人駐在員を中心にした交流が主である。現地の職員と直接、日本人駐在員を除外したコミュニケーションの機会を設けることなど、先ず考えられないだろう。日常の中、あるいは定期的な視察や監査において、ケア・テーカーの発見は中々に難しい。

多かれ少なかれ、任命権者と親分子分の間柄だったりするので、内部告発しても返り討ちに合う確率が高いのです。 オリンパスの問題は、日本企業にとっては他人ごとではありません。

でもあえて駐在者を弁護させてもらうなら、真の意味でケア・テーカーに分類されるのは階級の高い人達だけです。
駐在者は何か問題が起きれば、夜中だろうが酒の席だろうが即応しなければなりません。 激務のストレスが我が儘な言動に出てしまう部分もあるかと思います。


仕事のスキルは必要条件(それすら足りてない人もいる)ですが、海外に出ていく日本人としては十分ではありません。

次に重要なのは、日本に関する知識である。その中でも、重要なのは現代日本の政治経済や社会、それから明治維新以降の近代史であろう。平安や江戸時代の話は、ファンタジーや教養としての意味が有るが、必須科目であるとは思わない。多様性の中で、近代・現代日本の政治経済や社会を語っていくためには、それと世界を対比して行くことが望ましい。アジアや欧米の近代史に日本を対比して語らうことが出来るようになれば、ある程度の評価を得ることが出来る。
 
日本以外の先進国やアジア諸国は、階級社会(Class Society)により成り立っている。ビジネス分野においては、MBAプロトコルと呼ばれる見えない壁を形成している。MBA資格の有無が重要なのではなく、「話が出来る相手かどうか、を見極める手段である。この文化の根源は、ギリシャ時代の自由市民(Free Citizen)に遡ることが出来る。すなわち、一定レベルの教養(Liberal Arts)を習得した者のみが、自由かつ平等な権利を有する市民たり得る、という考え方である。
 
日本人であっても、海外の外国人社会において真の意味でのリーダーシップを発揮する為には、少なくとも名誉市民として同等の教養を修めておく必要があるだろう。
 
アジアの末端に位置する日本では、入りこんできた様々な文化が熟成され、渾然一体となり完成されている。このような日本の伝統的な文化、例えば芸術や宗教、伝統的な儀式、皇統などについてその経緯から現在までを語ることが出来れば、階級社会における見えない地位は、間違いなく向上する。

マネジメント層は歴史小説が好きだったりしますが、自国の文化を世界と対比して語れるようになるためには役に立つのかもしれません。