過失と作為のあいだ

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STAP論文、過失と作為の切り分け明確に 福岡伸一氏:朝日新聞デジタル

iPS細胞の成功以降、生命科学がテクノロジーに走りすぎ、「作りました、できました」という研究がもてはやされる風潮がある。今回の問題もその延長線上に起きたのではないか。科学は本来、もっとじっくり「How(どのように)」を問うべきものだ。
 
STAP細胞の実在性に著者らがなお信念をもっているのであれば、論文を撤回するのではなく、訂正や続報で対応すべきだ。撤回すれば、故意のデータ操作や捏造(ねつぞう)などの不正があったと世界はみなすだろう。
 
不適切と不正の切り分け。つまりどこまでが過失で、どこからが作為なのか。こうした点が明確にならないと、科学界に広がった多大な混乱と浪費は回収できない。著者や理研はきちんと説明してほしい。
 
さらに言えば、問われるべきは個人の資質や共著者の責任だけではない。多くのメディアは当初、ネイチャー誌やハーバード大といった権威をうのみにし、若き理系女子の偉業を翼賛称揚する一方、疑義が出てくると一転、手のひらを返した。研究内容を冷静に解読する自律性がなかった。

福岡伸一氏の著作にも、実験データを捏造した科学者の話が出てきますが、たいていはスター研究者の下で実験作業を担当するポスドクが捏造しています。
論文の共著者として大々的にフィーチャーされる本人が捏造するなんてことは、普通なら考えられません。 すぐにバレることですからね。