野垂れ死にする「自由」

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武装勢力に拘束された日本人問題について本来はリベラリストこそ「自己責任」を問うべき[橘玲の日々刻々]|橘玲の日々刻々 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

このことは、日本における「自己責任」とはなにかを示しています。それは、「国家(政府)を批判しながら、国家に救済を求めることは許さない」ということなのです。
 
日本人は、国家が国民を庇護するのは当然だと思っており、国家に甘えることには比較的寛容です。だからこそ逆に、母親のような国家を裏切る行為は徹底的にバッシングされるのでしょう。頭を低く垂れていればそれ以上の責任は追及されませんが、反論や抗弁はいっさい許されないのです。
 
自己責任は、本来は自由の原理です。国家が国民を完全に保護しようとすれば、“危険”と見なされる国への旅行の自由を厳しく制限するほかありません。だからこそリベラリスト(自由主義者)は自己責任を問わなければならないのですが、こういう議論は日本ではまだまだ難しそうです。

自由というのは自立(自律)とセットなんですが、個が確立されていない日本ではまだまだ難しいように思います。 というか日本国内に居ると、そういうことを実感する場が少ないのかもしれませんね。

でも、バイクに乗ってツーリングしたり、キャンプしたりしていると、否応なくそういうことに気付かされたりします。