「冷徹」と「お花畑」のあいだ

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お花畑は沈黙すべきか :日経ビジネスオンライン

なんというのか、「冷徹」で「残酷」で、「シャレにならない」ことを言うのがリアリストの大人で、「助かってほしい」だとか、「無事を祈る」みたいな生ぬるいツイートを書き込んでいるのは「お花畑」の「偽善者」の「いい人ごっこ」の「ちいちいぱっぱ」だみたいな、いやな空気が蔓延しているわけだ。
 
こうムードは非常によろしくない。個人的には大きらいだ。(中略)
 
わかってもらいにくい話をしている自覚はある。
 
歯切れの悪い、曖昧な、どっちつかずの考え方が大切だよ、ということを、先ほど来、私は訴えようとしているわけなのだが、この主張自体が、実に歯切れが悪かったりしていて、結局のところ、「冷徹」で「非情」な論理には勝てそうもないということを証明してしまっている。なんということだろう。

安部首相をはじめとする政府の方々が「お花畑」になってしまっては困りますが、一方でこういう意見にも分はあると思います。 自分の意見とは違いますけどね。

個人的には自己責任云々というのは興味がないです。
思うのは「ジャーナリストとしての使命」と「父親、旦那としての責任」はどちらが優先するんだろう? ということです。
後藤さんの奥様は理解して送り出したのだと思いますが、自分が奥様の父親だったら「なんて無責任なんだ!」と思ったかもしれません。

他人の勇気は「自己責任」:日経ビジネスオンライン

最後に、高村さんの言葉に個人的な反論をしておくことにする。
 
勇気は、必ず一定量の蛮勇を含んでいる。
そういう意味で、蛮勇だから勇気ではないという言い方は不当だと思う。
お国が、国民よ臆病者たれというのなら話を聞かないでもないが、蛮勇を排して勇気を持てという言い方には、耳を傾ける気持ちになれない。

ゴルゴでもランボーでもジョン・マクレーンでもない後藤さんが本当に湯川さんを助けにISILに入ったのだとしたら、それはやはり蛮勇であって「政府に任せてくれ」というのは当然だと思います。

「自分に何かあっても自己責任なので、どうかシリアの人を責めないでください」と生前の動画で言ってましたが、自分の命と引き替えでも責任を取りきれないことがこの世にはたくさんあります。
後藤さんを擁護する人たちでさえ「行くべきではなかった」というのは同意するでしょう。 中東取材の専門家だった後藤さんがなぜ判断を誤ったのかが謎ですね。

亡くなられた後藤さん、湯川さん、ヨルダンのカサスベ中尉のご冥福をお祈りします。