宣伝戦略としての「事実と虚構の混同」

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J-CASTニュース : 「少女から生きたまま心臓移植」 映画「闇の子供たち」の問題PR

映画の原作は、梁石日さんの同名の小説。しかし、映画の公式サイトでは、実話のように紹介されている。「値札のついた命 これは『闇』に隠された真実の物語」「実際にタイのアンダーグラウンドで行われている幼児売買春、人身売買の現実」といったフレーズだ。(中略)
 
さらに、阪本監督自身も、実話のようにインタビューに答えている。読売新聞の7月31日付記事では、「脚本化に先立つ現地調査で『フィクションではなく真実だと分かった』」としているのだ。

力が入ってしまうのは分かりますが、「フィクションではなく真実」というのはちょっと勇み足なんじゃないかなぁ。

福嶌教授のコメントはこちらが原文みたいです。

「闇の子供たち」が映す臓器移植の課題:NBonline(日経ビジネス オンライン)

「8人を口止めして、儲けも出そうなんて考えたら、ビジネスとして儲からへん。それに、見つかったときには心臓だったら死刑でしょう。タイの外科医といえばエリートの人たちです。その人たちがいくらなんでも、そんな危ないことに手を貸すとは思えない。映画では、なんらかの事情があってということにしているけれど、そこは医療の現場にいる者の目からすると、映画のフィクションといえるでしょう」

フィクションが悪いと言うわけじゃないですが、扱っているテーマがテーマだけに、意図的に事実と混同させようとするのはいかがなものかと。

売春だろうが臓器売買だろうが悪意でやってるんじゃなくて、すべてビジネスなんですよね。 逆に言うと儲からないものは、ビジネスとして成立しないんです。
「臓器のドナーとして人身売買」という話は、「都市伝説」レベルの話だと思います。 センセーショナルではありますが、真に受ける人もいるかもしれませんね。

J-CASTの記事に戻ると、

ネット上の批判や福嶌医師の危惧について、映画のPRをしている樂舎の担当者は、こう説明する。
 
「すべてフィクションとしてしまうと、ほかの国の関係ない話と受け取られる恐れがあると考えました。売買春は実際にあるため、身近にある問題として感じてほしかったことがあります。映画のラストシーンは、見ている人に跳ね返ってくるようなものにしています」
 
生きた子どもからの心臓移植については、「かなり極端な例で、そこはあくまで劇映画ということです」として、「作品は、ノンフィクションを強調しているわけではありません。国を告発するというのではなく、大人の醜さを描きたかったということです」と話している。

「大人の醜さ」? 薄っぺらい正義感だなぁ。 タイ人が怒るのも無理ないと思うよ。
タイに行ったことがない人がこの映画を見たら、おそらく「タイというのはとんでもない国だ」と思うんじゃないかな。

臓器移植についても問題提起というよりは、かえって海外で移植を受けようとする家族に対する偏見を植え付けてしまうのではないかと危惧してしまいますね。