ダイハツ、中国での自社ブランド展開断念

BizPlus: 最新:ダイハツ、中国事業を縮小 自社ブランド展開断念

ダイハツ工業は17日、中国事業を縮小すると発表した。2007年に発売した自社ブランドの多目的乗用車の販売が低迷しているため、今年中をメドに提携先の中国自動車大手、第一汽車のブランドでの販売に切り替える。中国事業については自社ブランド販売を断念、合弁相手に対する生産面での協力に絞っていく。
 
ダイハツは第一汽車の子会社である一汽吉林汽車(吉林省吉林市)に技術を供与し、07年6月から一汽吉林汽車が組み立てた多目的乗用車「セニア」を「大発」ブランドで販売してきた。知名度不足から08年の販売台数は約5100台にとどまり、当初計画の年3万台を大きく下回った。

日本のメーカーで、最も早く中国に進出したのがダイハツでした。 ダイハツは60年代からアジア市場開拓に関心があって、下関工場で軽自動車を作って輸出する計画もありました。

逆に後発だったのはトヨタですね。 トヨタの進出が遅れたのは、80年代に中国政府の進出要請を断ったためだと聞いています。 メンツを重んじますからね、中国は。
出遅れを取り戻すためにトヨタは、ダイハツの当時の合弁相手だった天津汽車を横取りするカタチで中国進出を果たしました。

トヨタ、中国で本格巻き返し---第一汽車と提携へ - ニュース - nikkei BPnet

トヨタは2000年、子会社ダイハツ工業からの技術援助で小型乗用車「シャレード」を生産していた天津汽車との合弁契約に踏み切るが、決して理想的な選択ではなかった。天津汽車は中国内で小型車の生産しか許されていない準大手クラスで、「世界のトヨタ」の受け皿にはなり得なかったからだ。
 
それでもトヨタがこの合弁を選んだのは、中国生産の切符を手に入れることを優先したため。トヨタとの合弁で天津汽車が実力をつければ、経済車だけでなく、第2、第3の車種を投入してフルラインメーカーへの道も開ける、との計算も働いた。

その後はパートナーを第一汽車に替え、今では日本ブランドでトップになっています。

ブランド力を考えれば仕方ないのですが、ダイハツとしても忸怩たる想いがあるでしょうね。 スズキのインドでの成功とは対照的です。