元三菱自動車会長・社長 中村裕一氏死去

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朝日新聞デジタル:元三菱自動車会長・社長 中村裕一さん死去 - おくやみ・訃報

中村裕一さん(なかむら・ひろかず=元三菱自動車会長、社長)が4日、多臓器不全で死去、86歳。

ご冥福をお祈りします。

【新聞ウォッチ】「急成長と挫折」三菱自動車元社長の中村裕一さん逝去 | レスポンス (スポーツ/エンタメ、出版物のニュース)

中村さんは、京都大学工学部・機械工学科を卒業後、1948年に三菱重工業に入社。GDIなどのエンジン設計に長く携わり、三菱自動車が分離独立後、舘豊夫社長の後任として、89年に同社社長に就任した。「RVの三菱」の原動力ともなった「パジェロ」シリーズを相次いでヒットさせるなど、「(当時2位の)日産のテールランプが見えてきた」などと豪語するほど、同社の拡大成長路線を牽引した。
 
だが、好事魔多しで、朝日が「パジェロもリコール隠しも」との見出しを付けたように「97年、総会屋への利益供与事件の責任を取り会長を辞任。同社の経営を揺るがしたリコール隠し問題では、会社側から2005年に損害賠償請求訴訟を起こされ、07年に和解した」(日経)。根っからの技術屋の中村さんは人柄が良くごり押しするようなワンマンタイプではなかったが、それでも欠陥を隠ぺいする企業風土が生まれたのは、取り巻きの幹部社員らが、都合の悪い情報をトップに伝えなかったことも一因だろう。
 
その中村さんは「晩年は公の場に姿をみせることはなかった」(産経)が、第一線を退いてからは瀬田の自宅付近のバス停から趣味の絵の道具を肩にかけて、バスに乗り込む姿をお見かけしたこともあった。親族に近い関係者によると「最後まで会社のことを気にされていた」そうだ。「中興の祖」でもあるが、中村さんのように会社の急成長と挫折を味わった経営者も珍しい。合掌。

オリンパスの一件もそうですが、一握りの悪い奴らの仕業ではなくて、その会社の風土に根ざした事件だったのだと思います。

なんだか太平洋戦争を経験し、終戦後に沈黙を保ったまま亡くなっていった旧日本軍の将校のようですね。