生物学的に正しい夏の過ごし方

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エアコンを止めて分かったニッポンの夏の過ごし方:日経ビジネスオンライン

子供の頃はあんなに大好きだった夏が、大人になってから憂鬱な季節になってしまっている理由のうちの大きな部分は、実は「生産性」という言葉の中にある。私はそうにらんでいる。
 
この一週間、私は、当面の仕事を投げ出して、ただ暑さに身を任せていた。
 
と、働かない男にとって、猛暑日の暑さと真昼のダルさは、案外にフィットするのである。確かに、肉体は暑さに参っている。でも、精神はかえってのびのびとしている。そんな気がするのだ。

学生時代の、そして独身時代に田舎に帰ったときの夏休みは、まさに「何にもしない」生活でした。
天気がよければ近くの海に行って泳ぎ、雨なら近くの山に登って海を眺める。 たまに本屋まで行って立ち読みして帰ってくる、という具合。

ただ、これは何もニッポン限定の話ではなくて、南欧などでは長いバケーションを取ったり、シエスタをしたりしているのではないでしょうか?

こじつけのように聞こえるかもしれないが、私は、夏がイヤな季節になったのは、実は冷房装置のせいだと思い始めている。
 
エアコンディショナーというものがなかった時代、われわれは、夏を「しのぐ」という形で、暑さに対応していた。
 
「しのぐ」方法は、細かく拾い上げれば、手法としては山ほどある。
 
が、根本は、「生産性を落とす」ことだ。
 
最も暑い季節の一番しのぎにくい時間帯は、いろいろなことをあきらめる――これが、夏を「しのぐ」際の基本姿勢だ。といって、夏をやり過ごすことに関して、特段に目新しい決意やコンセンサスを持つ必要はない。真夏の暑さの中に置かれたら、人間は、誰であれ、生存以外のほとんどのことをあきらめざるを得ない。われわれは、生物学的にそういうふうにできているのだ。

昨日まで帰省していましたが、エアコンが新しくなっていました。
でも我が家にエアコンが付いたのは15年くらい前で、自分が実家にいた頃は扇風機しかありませんでした。

上京して最初に住んだアパートには8年居ましたが、やっぱりエアコンは付けませんでした。 軽量鉄骨の2Fで天井が薄いので、本当に暑かったです。 週末とか短パン・ランニングで、汗ダラダラ流してましたね。

お金がなかったのもありますが、「夏は暑くて当たり前」だと思ってました。 若かったから暑さに耐える体力もありましたし。 今なら絶対ムリですね。

日本人も夏は仕事を休んだ方がいいのかもしれませんが、家庭でのエアコン稼働が増えて、かえってピーク電力が増えたりしそうだし、難しいところですね。