「憲法学のロジック」の信ぴょう性

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なぜ、憲法学は集団的自衛権違憲説で一致するのか? 木村草太・憲法学者 (THE PAGE) - Yahoo!ニュース

日本国憲法では、憲法9条1項で戦争・武力行使が禁じられ、9条2項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定される。このため、外国政府への武力行使は原則として違憲であり、例外的に外国政府への武力行使をしようとするなら、9条の例外を認めるための根拠となる規定を示す必要がある。
 
「9条の例外を認めた規定はない」と考えるなら、個別的自衛権違憲説になる。改憲論者の多くは、この見解を前提に、日本防衛のために改憲が必要だと言う。
 
では、個別的自衛権合憲説は、どのようなロジックによるのか。憲法13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める。
 
つまり、政府には、国内の安全を確保する義務が課されている。また、国内の主権を維持する活動は防衛「行政」であり、内閣の持つ行政権(憲法65条、73条)の範囲と説明することもできる。とすれば、自衛のための必要最小限度の実力行使は、9条の例外として許容される。これは、従来の政府見解であり、筆者もこの解釈は、十分な説得力があると考えている。

いやいや。 「個別的自衛権合憲説」の時点でもう既に拡大解釈も甚だしいだろうw
これを「合憲」と許容する時点でかなり現実に阿っている怪しいロジックだと思うよ。

それを言ってしまうと話が終わってしまうので、集団的自衛権について。

では、集団的自衛権の行使を基礎付ける憲法の条文は存在するか。これは、ネッシーを探すのと同じくらいに無理がある。国際法尊重や国際協調を宣言する文言はあるものの、これは、あくまで外国政府の尊重を宣言するものに過ぎない。「外国を防衛する義務」を政府に課す規定は、どこにも存在しない。
 
また、外国の防衛を援助するための武力行使は、「防衛行政」や「外交協力」の範囲には含まれず、「軍事」活動になるだろう。ところが、政府の権限を列挙した憲法73条には、「行政」と「外交」の権限があるだけで「軍事」の規定がない。政府が集団的自衛権を行使するのは、憲法で附与されていない軍事権の行使となり、越権行為になるだろう。
 
つまり、日本国憲法の下では、自衛隊が外国の政府との関係でなしうる活動は、防衛行政としての個別的自衛権の行使と、外交協力として専門技術者として派遣されるPKO活動などに限定せざるを得ない。

個別的自衛権は防衛「行政」で、集団的自衛権は「軍事」活動だって??? まったく意味がわからん。 屁理屈もいいところだ。
戦争論』には「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」と書いてありますが、「防衛は軍事ではなく行政」なんて初めて聞いたよ。

百歩譲って「自衛のための必要最小限度の実力行使は、9条の例外として許容される」として、なぜその「自衛」の範囲が個別的自衛権までで集団的自衛権は含まれないのか、その根拠がよく分からない。
鈴木善幸内閣総理大臣は1981年の答弁でこう語っています。

衆議院議員稲葉誠一君提出「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問に対する答弁書

我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。

これも当時の国際情勢や国内世論をもとに「範囲外」と言っているだけで、永久不変に範囲の変更が許されない絶対的なものでもないように思います。 違憲論者も認めるように「憲法に集団的自衛権の規定がない」ので、憲法で自衛の範囲が定められている訳ではありません。 憲法解釈によって自衛の範囲は変わりうるのです。

結局、憲法学者が言ってることも時代によって変わっているし、原理原則よりも相当に現実に妥協しているんだよね。 で、どこまで妥協するかという線引が問題になっているんだと思う。

歴代の内閣法制局長官が「違憲だ」と言っているのも、憲法解釈の変更で自分が守ってきたものを否定されたように感じているからじゃないかと思う。 そりゃ梯子を外されたと感じるのも分からんでもない。


個人的には「集団的自衛権の行使が可能」になったとしても、現状と大して変わらないと思うけどね。 そりゃ自衛隊の活動範囲が広がって、もしかしたら任務中に命を落とす隊員が出るかもしれない。
でもそれは今のPKO活動を続けていても同じことじゃないかな? ロシアンルーレットじゃないけど確率の問題で、いつかはそういう日が来るよ。 悲しいけど。 それは交通事故だって同じでしょう? 嫌ならクルマに乗るなとか、道路歩くなという話になる。

秘密保護法のときもそうだったけど、「今までちゃんとした規定がないままやっていたことをキチンとしましょう」というだけで、自衛隊ができることがそんなに広がる訳ではないと思うけど。
PKO法案のときだって大騒ぎしたけど、今じゃ誰も気にしてないよね。 今回も野党やマスコミ、プロ市民が大騒ぎしているだけで、数年経てば当たり前すぎて話題にもならないような気がします。


そもそも日本人は自分自身がよっぽど信用出来ないんだろうね。 集団的自衛権は持っていても必ず使わなきゃいけないものじゃないんだよ。 「使えない」と自分を縛らなければ、いつまた暴走して他国を侵略するんじゃないかと心配してるみたいだ。

でもそれは「太平洋戦争を起こしたのは軍部や政治家」「国民は煽動されて酷い目にあった被害者」と考えているからじゃないかな? そうじゃなくて当時の政府や軍部を支持したのは日本国民でありマスコミだったわけで。

日本国民が戦争責任をちゃんと自覚して「二度と侵略戦争はしない」と誓っているなら、侵略戦争をするような政権は出来ないはずなので、強制的に憲法で禁止する必要もないよね? 実際、諸外国から見ても今の集団的自衛権を巡る論争は意味不明だろうと思います。

国民主権といいつつ自分ではハンドルを握ろうとしない(責任を持とうとしない)日本人の性根を直すことの方がよっぽど大事だと思うね。