「花見自粛を」 石原都知事が言うとなぜ批判される?

「ひとつになろう」より「てんでんこ」がいい:日経ビジネスオンライン

東京の桜は、今週末ぐらいから見頃をむかえそうな気配なのだが、花見の宴会は自粛するところが多いようだ。
まあ、仕方がない。妥当な判断だと思う。
とはいえ、その判断が、行政当局に自粛を示唆された上での決断だということになると、ちょっと意味合いが違ってくる。
少なくとも後味はずっと悪くなる。
 
自分たちで決めた自粛は、思いやりの結果でもあるし、節電への決意のあらわれでもある。その意味で尊い。
が、上から言われた自粛には、独立自尊の潔さが無い。美しくない。
ということで、他人の顔色を見て決定される自粛については、「他粛」という言葉を提唱したい。他粛は、今後しばらくの間わが国において多発することになるはずだ。

プロ野球だって、お上に言われて延期になったじゃないの? おなじことじゃん。
石原都知事が言うと、なんで批判されるんだろうね? 人徳がないから?

最近、よく「自粛するのは良くない」なんて言われるようになりましたね。 これも巨人の代表が言うと批判されていましたが。

発信箱:「普段通り」の大切さ=布施広(論説室) - 毎日jp(毎日新聞)

「不安でしょう。でも、あなた方の安全は保たれている」。ブッシュ大統領(当時)は懸命に、普段通りの生活を国民に呼び掛けたものだ。テロで航空・旅行業界は壊滅的な打撃を受け、非常時の自粛ムードが超大国の消費を冷え込ませた。これでは経済がもたないと大統領は思ったらしい。
 
その懸念は日本にも当てはまる。震災の経済的打撃は、二つの戦争を呼んだテロの衝撃を上回るだろう。だからこそ思うのだが、被災地以外の人たちが「普段通りの生活」を心がけることこそ、今は重要になっているのではないか。被災者への救援や同情はもちろん大事だ。しかし、被災しなかった人たちが縮こまれば日本は活力を失い、そのツケは被災者にも及ぶのである。
 
一例をあげると、女子ゴルフだ。主に西日本で開催予定の4試合が続けて中止になったのは一ファンとしてさびしい。東北にゆかりの深い選手、知人が行方不明の選手さえいると聞けば同情は惜しむまい。選手たちの街頭募金もうるわしい光景だ。しかし、試合こそ本領発揮の場だ。再開後は切磋琢磨(せっさたくま)して腕を上げ、韓国選手に負けずに世界でも大暴れしてほしい。それでこそ日本は元気が出ると私は思う。

開幕延期しても、公式戦の試合数は変えずに慈善試合やってたら、消費するエネルギーはむしろ増えてしまいますね。
試合が増えたぶん、被災地への義援金が多く集まるなら、開幕を延期した甲斐があったというものでしょうが。

まあ、それはさておき。 元の記事に戻ります。

「勉強しなさい」
 
と、親に言われて素直に勉強するのは、一般的に言って、小学生までだ。
 
「お母さんはあなた自身のために勉強しなさいと言ってるのよ。それがわからないの?」
 
という言葉に対して、中学生は
 
「うっせえ」
 
という反応を示す。でなくても、
 
「わかってるよ。何度も言わないでくれ」
 
と感じている。
ポイントは、勉強の是非ではない。子供にとっては、勉強を始めるタイミングを、自分の判断に任せてくれていない点が腹立たしいのだ。つまり、
 
「わかりきったことを何度も言ってきかせる」
 
態度は、
 
「相手を子供扱いにしている」
 
ことを意味しているわけで、小学生ならいざしらず、中学生になって、そろそろ自我が目覚めてきている年頃の子供にとっては、「学生は勉強をすべきだ」というメッセージ内容の当否よりも、自分をガキ扱いにしている親の無神経さがうざいのである。(中略)
 
結局、一連のキャンペーンCMがわれわれに伝えているのは
 
「お国は国民を子供扱いにしている」
 
というメッセージなのだ。

自分もかなりひねくれている方ですが、こうまでは考えてなかったです。 でも確かにそうかもしれません。